moratorium

うってつけの日々

贅沢な孤独

基本的に私は一人が好きだ。気分に上下されるけれど、一人でいるのは快適。孤独なのは私の基本だからそれは別にいい。人の本質は孤独だと私は教えられた。幼いころに渡された言葉だったので、それはそれは私は傷ついた。でも今ならわかる。人はみんな天涯孤独なのだ。その傷ついた経験が私の根底にあり、何かを歪ませたのは間違いないだろうけれど。

人に期待して、愛情を渇望してもなかなか私の満足できる関係にはなれなかった。大人になったら、キスをするのもセックスをするのも、恋人とだけではないんだな。そういった話はいくらでも転がっている。恋愛感情なんてなくても、躰は重ねられる。なんてお気軽、なんてコンビニエンス。誰もが欲求を押し付けあって、自分が満足しようとする。関係を深めることなんて期待できない男ばかり。きっと私が人間をそういうようにしか見られないからなんだろうね。最近、人間関係は私を映す鏡のような気がしている。なんて下品で貧相な小娘なんだろう。

さみしさ、孤独。きっと誰と一緒にいても、何を成し遂げても、私はさみしさを感じるだろう。孤独だと思って一生を生きるだろう。人は誰も、その人なりの地獄を持って生きている。村上春樹だっただろうか、そのようなニュアンスの一文を私はずっと心にメモして持ち歩く。何かを表現し、一流と言われる人々は、きっと地獄を抱えている。表現しようという行為自体、自分の地獄を誰かに問いかけてみたいからではないのだろうか。

そんなことをつらつら思いながら、今日も私は、自分で自分を傷つけました。体が死ぬより前に、心が致命傷を負うかもしれない。過去はもう私を傷つけないのに、わざわざ呼び出して、心を傷つける行為を慢性的に繰り返している。目に見える自傷行為と一体どちらが劣悪かしら?