moratorium

うってつけの日々

いつだって、選びたいのは獣道。

季節と体感の時の流れが、ようやく重なり滑り出したかのよう。いつだって体感は追うばかりで、現実が先に進んでしまうから息が切れてしまうのかも。

 

「マイナスのことばかり言ってると、人が離れますよ」

と、ある人から忠告を受けた。そのあまりの言葉の正しさと距離に身がすくみ、胃が固まってしまった。お腹が空かない。しかし、余計なお世話。耳にタコ。つまらないことを身の内にためてなんておきたくないからすぐに吐く。周囲の人なんて知ったこっちゃない。元からそんなもの、いないようなもの。私は私の世界を守りたい。うきうきとうつうつを一日の中で行ったり来たり。山あり谷ありの重労働で、自業自得でへとへとだわ。

 

2本正しく足があり、2本すとんと腕が生え、両の手にはきっちり5本ずつ可愛い指がついている。目も口も鼻の数も正しくて、胸は大きくいい柔らかさ。背は少しばかり小さいが、異常なほどではない。それだけあれば、きっと十分、この世界で生き抜くことはできる。

思考を捨てよ!その惑わす悪魔を捨てよ。そうすればもう、迷わなくてすむでしょう?一本道を、そのまま正しい歩調で歩いて行ける。スキップも近道も、獣道も、考えることさえしないけれど、それは平和で幸せかもしれない。

だとしたら、私はどうする?

どちらの愚かさを選び、どちらの幸せをかみしめる?

記憶の中で、生きていて。

瞬く間。

本当に瞬きをする間に季節が変わっていくような錯覚に囚われている。だってねえ、私ついこの前だったじゃない。ほんの隣に確かにいたじゃない、それなのに。だんだんとこの季節の巡り合わせにも慣れてきてしまっていて。ようやくというか、それでも慣れてしまったのは悲しく思えてしまう。だって、こうして終えていくような気がしているから、世界が新しかったころには戻れないから。ようようわからないけれど、とにかく何かが悲しい、そんな気持ちがしている事実。

 

追憶。

この頃とても会いたくなってしまうのは、私の元から去った人々。もう人生が交差することはないから、記憶の中でしか会うことはない。記憶は甘やか。だって私を傷つけないもの。どのようにだって改竄できるもの。だから私と彼らの逢瀬は甘い。いつだって切なくなるほどの幸せの中で会える。不健康で不健全だからこそ、いい。やあやあ、私はとても幸せだ。もう二度と会えない彼らへ。

 

震えた文字が意味した感情

滔々と流れる日々はとどめようもなく。
とどめるつもりもないのだけれどね。

日記を読んだ。
世界が死んだ日の日記を。
あの頃震える手でようやく綴った文字。
潰れて息もままならなかった胸。
どうしようもなく零れた涙あと。
そういうものを懐かしく眺められた自分に
私は心底安堵し、嫌悪した。

死ぬことは多分、つらいことではない。
終わるだけで。その後がないから。
でも、生の中にはこんなにもつらいことがあるのかと。
こんな苦しみと絶望ですべてが塞がれ、
身体を動かすことも儘ならないほどの痛みの中で、それでも生きていくのかと。
なるほど、本当に天国も地獄もここにあるのだと思ったあの日。

一生この痛みを覚えていようと思った。

なのに、ね。

忘れることができるということに、
多分ものすごく救われると同時に、
私はとても愚鈍になった。

空に落ちたい、みたいな願望

新しい年がまたまた当然のようにやってきて。はてさて今年はどんな風になるのだろうかと、怖さと期待のせめぎあいのような感じがしている。

年末年始はいつも新鮮で、いつも新しい。そして、いつも同じルーティーン。空気が元旦に向けてどんどん澄んでいく感じがして、私もどんどん気持ちが無になる。そんなことをもう幾度繰り返しただろう、繰り返すのだろう。

 

年末、実家に帰り、田舎道を散歩した。あそこは本当に何もなくて、ただただ広い空、何も植わっていない田んぼ、そして老人など。一人でそういうものをずっと見て感じて過ごして、私はとても満ち満ちた。
空を見上げれば、どこまでも高く、淡い青はまるで宇宙まで見通せるのではないかと思うくらいの奥行で、立って見上げている足元がおぼつかなくなる。そのまま空に吸い込まれるような、宇宙の中に落ちていくような、そんな錯覚。高い建物など何もないから、空はみんな私のもの。どこまでも、青。
田んぼは何にも植わっていなくて。私は直近、いつ、あの金の稲穂を見ただろうかと。あの青々としたまるで絨毯のような苗を見ただろうかと。そんなことを考えた。
しんとした気持ちで。

分裂できないのはなんて不便なんだろう。さくりと真ん中で割ってもらって、そのまま、私のまんまで、分裂できたらいいのに。愛とエゴを押し付け合って、どうしたって一人じゃ足りない、回らない。別の場所に同時に存在できない。したいのに。
人間の常識ではかなわない願いばかり大きくなる。膨らんで膨らんで、しかし割れる気配もない。どこまでも膨らんで、いつか私ごと、吹き飛ばしちゃえばいいのに、なんて。

 

欲。善く。よく。

とてもとても欲張りなので、自分の持てる分よりもいつも多く見積もって、欲しがる癖がある。なんでもとりあえず欲しいし、持ちたい。基本的に自分がよく見えていないので、申告したものを取り込もうとすると、自分を苦しめることになる。もしくは害することになる。悲しきかな、この意地汚さを意識はするけれど、なかなか改善できそうにない。持ってる人を、物を、羨む癖。美しさからは程遠いな。

 

ハーゲンダッツのアイスクリームが好きで、冷蔵庫に常備しておく。一番好きなのはクッキー&クリーム、次にストロベリー、バニラといったところ。ちょっとでもなんでも多く食べたい質なので、普通の大きさのものを買ってきて食後にいただく。そうするともう半分から先は、美味しさより苦痛が先立つようになってしまう。濃厚さ、甘さ、そういったものが吐き気を誘う。精神が欲しがる分をうまく体に収めることができない。このミスマッチはなぜ起こるんだろう。欲しい、のに、自分で持てる、量じゃ、ない。…マルチカップにしとけばいいのにね。

 

いつもいつでも欲しい。でも持ちきれない。足りないのが怖い。

 

天国の住人は、長いお箸でお互いに食べさせあう。
地獄の罪人は、長いお箸で食べられないと泣いている。
欲求に正直に生きることが罪なのだとしたら、やはり人間は存在していることがもう、地獄へのパスポートのようなものよね。
長いお箸で食べられないと泣くよりも、私は手づかみでもなんでも食べたい。
強欲だもの。いつでも持てるより多く、欲しいの。

 

眠れずに、朝の5時になってしまった。
ふと、海が見たいと思ったので、そのまま電車に飛び乗って、海に出掛けた。

薄く雲が立ち込めた空、海はひどく暗く見えた。私が来たかった海だと思った。そのまましばらく海を見ていた。砂浜は硬く、湿っていて、レジャーシートをひいて、そして座った。
灰色の海。冬の始まりの海だった。

私は一人でここへ来て、そしてきちんと独りだと思った。こんなところまで一人で来られるようになってしまった。こんな遠いところまで。
圧倒的な寂しさと共に、独りでいられることにひどく安堵していることに気づいた。
なんだか涙が流れてしまって、それが風に吹き付けられてひどく冷たかった。拭ってくれる手も、包んでくれる腕も、連絡する宛などもなにもなかった。
ただ、私だけがあった。


山奥で生まれ育ったのに、いつも帰りたいと思うのは海。いつでも海に帰りたいの。
灰色の海は、とてもあたたかそうに見えた。

私の部屋の魔女

私の部屋には美しき同居人がいる。

それはある有名な絵画の一部のレプリカなのだが、その眼差しに肢体に、一目惚れして連れ帰ってきた。同居人である彼女は、私のこうありたい憧れの具現でもあるように感じている。

君の部屋にある絵、全く構図も何もかも違うけれど、魔女の宅急便に出てくる画家の女の子がキキをイメージして描いた絵を思い出すんだ。だから君のイメージは何て言うか、キキって感じ。今迷いの中にいても絶望にいても、大丈夫だよ。、、、

男はそういって私を慰めた。魔女の宅急便は好きな映画で、上京してきた自分に重ね合わせた部分もあったので、そう言われたのは嬉かった。何より、そういう感性が男にあったのが、嬉しかった。

と、同時に、
いったいそれを誰と見たの?
という疑念に苛まれている。

卑しい、醜い、寂しい。自覚している。でも、綺麗な気持ちでもう、人を信じることができない。

私以外の誰と、それを、みたの?